京都市内の町家(町屋)に関しての歴史性や構造性

京都市内の町家(町屋)に関しての歴史性や構造性

京町屋イメージ

まちや、町屋(町家)と単に言うなれば町にある家のことで、特に、マチヤと言われる場合には道に面して並ぶお店(おたな)商店、商家のことを「町屋」といい、又、京都の人々の一般の住宅としての住いを「町家」と言ったそうです。 その特徴としては何れも道路に面している間口が狭くて、逆に奥行きが長いものとも言われ、其の代表的なところが関東では川越の歴史的伝統的な街並み。京都では京町屋が何と言っても現存している有名所です。

京町屋の間口

ところで、近代化以前の江戸時代には「間口税(まぐちぜい)」というのがありました。 元より、歴史的にはもっと以前の室町時代から此の様式の建物があったようですが、それは、商家の町並みとして色んな種類のものが狭い範囲でも出来るようにと、自然と作りが奥に長くなった建物が出来たようで、特に、江戸時代になってからは、”間口が広いほど、より収益が上がっているだろう”との見方で、特に京都地方には「間口税」というものが制定されたとされています。

特に京の都では、道路に面した間口を小さくすることによって、税金を少なくしようとする、所謂、節税という何時の時代も変わらぬ庶民の知恵として、このような作りがより頻繁に行われるようになったとされています。 例えば、特に京町家は間口が3間(約5・4メートル、奥行きが8間(約20メートル)などという、極端な作りも有ったらしく、此れを唱えて京都の町屋は「うなぎの寝床」のようだ、とも揶揄されてそうです。

特に、間口3間(1間=1.8m)というのは其れなりに理由があったらしく、間口税とは一種の現在の固定資産税のようなものであって家屋税とも言われていましたが、課税の対象となるのは最低基準が例えば間口が3間ということで税率の規準がなされ、其の3間の規準を僅かに1間超えただけでも、其の倍の2軒分の家屋税を収めなければならなかったとされます。 但し、奥行きには制限がなかったため、間口を3間に抑えておいてその分を奥に長く伸ばす事が一般的だったので、うなぎの寝床ような細長い住居ばかりになったのです。

「マチヤ」の構造としては一般住居の京町家は概ね平屋が多いのですが、商家の町屋になりますと商品の関係でやや大型になり二階建て、中には三階建てものもあります。

様々な工夫

何れの奥に長い建物になるので、色々と工夫をこらしているのも町家の特徴で、京都は夏は暑いところでもあり、走り庭のような土間を設えてあったり、玄関庭や中庭、坪庭、裏庭などを配し、水と緑と風邪を上手に摂り入れて涼しさを作り出していました。 又、お座敷は障子戸や畳の上に網代(あじろ)、籐筵(とむしろ)を敷いて涼しくする工夫や間仕切りとして吊るだけの「座敷簾」も使われていました。

特に、町屋の場合は蔵を設けているところもあり、目的は勿論、物品の安全収納のためですが、防火を施す目的もあり丈夫な蔵が奥の方に配置してあるのが普通です。

特徴のある構造

それに、京町家でよく見かける特徴的なものに格子があります。 格子は外からは見えないが中からは見えていて、而も、光や風を取り入れる役目もしております。 格子の形は構造や形態、商売(職業)などによって変わるが、出格子、平格子など色々な形態があり外から見ていても楽しくなりますね、

そして、京都で町家生活が密集している場所としては、現在では「西陣」(京西陣織の発祥地)の周辺が多いですね。 尤も、今は行政区域としての西陣というのはありませんが、京都市上京区から北区にかかる地域の名称のことになります。 それに次いで多いところは何と言っても東山区だと思います。 東山区の祇園界隈ということになるでしょうし、当地は、舞妓さんが往来する観光名所地でもあり、京都市内でも最も町屋、町家が多い京都らしいところとされていおりますね。